東京で生まれ、小学校、中学校と千葉県房総で育ち、何時も海岸から見る富士山を見ては綺麗だなと思っていましたが、仕事の関係で昭和51年2月28日に御殿場に住むようになり、いざ近くで富士山を見るとあまりの汚さに驚いてしまった。
そんな私が、平成11年7月仕事で来ていたYカメラマンに「写真をやったら」と勧められましたが、その時は断りました。その後こんないい場所に住んでいるのだからと、熱心に言われ「何を撮るのですか」と聞くと、彼は「富士山です」と言われました。私は、「何の為に撮るのですか」と聞くと、Yさん、Mさんが、凄い夕焼けの富士山の写真を私に見せてくれました。これにはほんとうに感動しました。
Mさんは私の同僚で、私が「私にも撮れるだろうか」と聞くと、「大丈夫、あなたにも撮れますよ」と答えたので、早速カメラを1セット買いもとめ撮影を始めました。そして、はじめてシャッターを切ったのが、平成11年7月31日でした。 それから、特別の事が無い限り一日も休まずに撮影に出かけました。朝は御殿場で撮ると、夕方は山中湖・河口湖方面から、朝霧・富士市を廻り、また逆周りで帰ることが日課となりました。
私が勤めていた恩師の書の中にこのような言葉があります。
・書道箴言(しょどうしんげん)
・練習は、必ず日に一度
・ずぼらは、向上の敵である
・常に、喜んで書き求めて観よ
・人の、書をほめ、己の、書を愛せよ
・言は、心声なり、書は、心画なり
書道は書いた人の心の状態が、そのまま現れる、書いた人の心が、素直であれば、澄んだ字になり、心が荒れていると荒れた字になり、そのまま表れるのが書です。
私の写真の師は、写真はカメラでは有りません。あの日本一のアラーキを知っていますか、あの方は、バカチョンですよ。
明日からは、カメラを持って出掛けても好いから、シャッターを切らないで帰って来なさいと言われました。それを一ヶ月続けるように言われ、絶対にカメラを変えては成りませんと言って帰って行きました。最初の頃は辛くて、何度シャッターを押そうと思ったか分かりませんが、何時しか気が付くと、20年以上患った胃潰瘍が治って15歳で覚えたお酒が、ある日突然飲めなくなっていました。その翌日から写真の師が言われた、今がチャンスと思う絵が心に浮かびシャッターを押す事ができるようになりました。
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